この強力消化剤(胃腸薬)を、高峰のタカを冠して「タカジアスターゼ」と命名し、明治27(1894)年に特許を申請。そして製造販売を、全米最大の製薬会社であるパークディビス社に委託すると、これが瞬く間に大ヒット! 世界の家庭の常備薬となり、パークディビス社は世界の胃腸薬市場をほぼ独占した。
ただし、日本だけは例外だった。「タカジアスターゼは日本人の発明品なので、日本では日本人に売らせたい」という高峰自身の申し入れを、パークディビス社が承諾したからだ。そして明治32(1899)年、タカジアスターゼ販売のために三共商店(現在の三共)が創設される。三共胃腸薬タカジアスターゼは、夏目漱石の当時のベストセラー小説「吾輩は猫である」にも登場するなど、赤チンとともに日本の国民的常備薬となったのである。
かくしてドクター・タカミネは特許収入で巨万の富を築く。その資産は当時の金額で2,000万ドルとも3,000万ドルとも伝えられる。ハイカラ好みの漱石でさえ留学中に神経衰弱になったほど、欧米文化に馴染むことが難しかった当時の日本人のなかで、アメリカに永住し、組織にくみすることなく、アメリカンドリームを実現させた最初の日本人、高峰譲吉。晩年は、2,000本以上の桜をニューヨークに植樹し、日本様式の粋を集めた豪邸をリバーサイドに建てて民間外交の場とするなど、身をもって日米の掛け橋となった。「無冠の大使」と呼ばれるゆえんである。 |