social テリー伊藤が振り返る、「広告の黄金期」とその背景
東京・汐留の「アド・ミュージアム東京」で10月3日まで、特別企画展「広告跳躍時代 昭和の広告展[III] -1970年代・80年代-」が開催されている。同ミュージアムは開館以来、広告の歴史をひもとく企画展をシリーズで行ってきたが、最終回となる今回は、広告が質・量ともに最も大きく成長した1970年~1989年の作品を対象にしている。8月7日には、数々のテレビ番組やCMを手がけてきた演出家のテリー伊藤さんが会場を訪れ、広告の黄金時代とその背景を振り返った。
広告の黄金期は「お互いにピュアな時代」だった
1970年に7,560億円だった日本の広告費は、1989年には5兆715億円にまで拡大し、20年間で約6.7倍という急成長を遂げた。テリーさんは広告をとりまく当時の環境について「広告を作る側は、何とかして世の中を盛り上げてやろうと思っていた。それを見るお客さんのほうも、いまのように多くの選択肢があるわけではないので、広告の言葉を信じて、それを自分の生活の中で何かのプラスに変えていた」と話し、広告にとっての1970年代・80年代は「作り手と受け手がお互いにピュアな時代」だったと回顧する。
自動車の広告を展示したコーナーでは、「ケンとメリーのスカイライン」のキャッチコピーを見ながら「このころのスカイラインはいまでも“ケンメリ”と呼ばれていますね」(テリーさん)。広告のコピー自体が車種の名前として通用するようなクルマも珍しいとしながら、「今はクルマの広告も女性に向けているでしょう。男性は性能とかが『良いか悪いか』を気にするけど、女性はそのクルマが『好きか嫌いか』が基準」と話し、同じ商品であってもアピールポイントが変化してきていると指摘した。
ブランディングの広がりと広告の多様化
ブランド名やロゴマークといったものの重要性が広く認識されるようになったのもこの時代だ。「視聴率が高くても、イメージの悪い番組にはCMが入らなくなった。儲かればいい、数字が取れればいいんじゃなくて、ブランドイメージを高めることが求められるようになった」(テリーさん)。コーポレートコピーのナレーションとイメージ映像だけで構成されるようなCMも急増したが、企業の社会的責任やエコ意識の高まりを受けて、今後もこの流れは加速していくのではないかとテリーさんは見ている。
日本の広告費は2000年にピークを迎え、新聞やテレビといったマス媒体では減少傾向にある。しかし、インターネットをはじめとする新しいメディアや、これまでにないさまざまな形態の広告が登場している。テリーさんは「こういう時代だから、昔のようにすべての人の心に同じように残る広告が出てくるかはわからない」としながらも、「世代ごとにそれぞれ、勇気づけられたり、楽しめたり、何かがほしくなってしまうような広告というのはあると思う。これからも広告は十分日本をリードしていける」とコメント。時代を切り開き、また時代を映す鏡として、広告は今後も重要な役割を果たしていくとの見方を示した。
休館日:日曜日・月曜日(月曜日が祝日・振替休日の場合は火曜日)
文●日高 彰




