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「中学はバンコクのインターナショナル・スクールに通っていたんですが、帰国することになって、東京都世田谷区に転居しました。そして私はお茶の水女子大付属中学の2年生に編入されたんですよ」。
アジアでのびのびとした学校生活を送っていた彼にとって、日本の有名進学校の独特の雰囲気や価値観は苦痛だったようだ。しかし、凄まじい集中力を発揮して、見事、難関を突破し、慶應義塾高校に合格してしまう。
フィリピンやタイのリトルリーグで鍛えた吉村さんは野球部に「1日体験入部」したが、正式入部は断念する。「将来プロ野球で活躍しそうなレベルの選手がたくさんいて、同じ土俵で戦うことは不利だと判断したんですよ。それで、競技人口も少なく今からでもトップレベルに追いつけそうな水球部に入り直しました(笑)」
しかし、水球部では軍隊式の猛訓練が日々続き、相当にキツかったようだ。それに耐え抜いた彼は、やがて神奈川県選抜に選ばれ、キャプテンとしてリーダーシップを発揮する。「社会に出てから、どんなに辛いことがあっても耐えられるのは、水球部の辛さを体験したからなんですよ」。
高校時代を特徴づけるもうひとつのエピソード、それは麻雀だった。「麻雀は高校時代に一生分やり切った感じですね」と笑う吉村さんだが、果たして強かったのだろうか?
「堅実な、負けのない戦い方をしました」。
賢明な読者諸氏なら、すでにおわかりのように、この時点で吉村さんには「ルーザーズ・ゲーム」の考え方が身についていたことがわかる。野球部を回避したことはもちろん麻雀で堅実な勝負をしていたことにも明白なように、彼の基本的なスタンスは「負けない戦略」なのである。「勝つ」ことを狙ってリスクを張るのではなく、「負けない」ための手を打ってゆく。これこそが、その後の彼の人生における基本姿勢となり、現在の発展に直結しているのである。
1997年、慶応義塾大学総合政策学部に内部進学。「転機」が訪れる。 |