|
強制される苦痛を嫌う彼女は、独学で「楽しんで学び」、見事中学受験を突破して1994年、品川女子中学・高校に進学した。
6年間バスケットボール部で活躍したけれど、心は海外に飛んでいた。
「移住したいと思っていました。世界をリードする人々やカルチャーに関心があって、そういうレベルの人々と会えるようになるために大学に行こうと思ったんです」
大学受験という苦痛に満ちたチャレンンジに対するモチベーションアップをこうやって図っていたのである。
交換留学制度を使いたいということで、2000年、上智大学の文学部新聞学科に進学。
時あたかも、日本は、1998年以降、いわゆる「ネットバブル」に突入し、ネット・ベンチャー企業が続々と生まれ、渋谷には「ビットバレー」と呼ばれる5,000社を超える大集積地が誕生していた。その熱い空気の中で、田島さんは「自学自習」でPCを習得し、ウェブデザインの世界にハマっていた。腕前とセンスは(本人いわく)「素人レベル」だったそうだが、独学していた熱意を買われ、いち女子大生ながらリクルートの「ゼクシィネット」の立ち上げに参加を要請されたという。
大学2年のとき、選考にパスし、2002年夏から1年間、アメリカのノースカロライナ大学(ローリー市)にウェブデザインを専攻するために留学した。「私はスポーツが好きですし得意でもあるので、言葉が多少不自由でも友人が出来やすかったですね」という田島さん。しかし、またしても試練が彼女を襲う。
「学寮に住んでいたんですが、ルームメイトのアメリカの女の子が精神面の健康状態に問題があって、感情の起伏が激しくいろいろ大変だったんです。寮サイドからはルームメイトを代えても良いって言われたんですけど、直感で(笑)私は彼女を受け入れ、一緒に暮らす決断をしたんですよ」
でも、いったい何故?
「環境のせいにしたくなかったんです。自分の身に何か良くないことが降りかかったときには、それは自分を成長させる機会だと捉え、それを乗り越える努力をしようと決意したんです。ただし、実際、乗り越えられるかどうか、その結果は問いません。そういう努力自体に価値を見出したんです」
日本から来たばかりで右も左もわからない留学生としては、本来であればルームメイトを頼りにしたいところだった。また、それも可能だった。しかし、「せっかく手に入れた留学生活を楽しまないともったいない!楽しむことは他力本願で手に入れるものではないし、これも神様がくれたチャンスかも」と思い、自分で行動を起こした。そのお陰で、留学生の中でも彼女の英語力は短期間で飛躍的に上達したという。 |