20歳からの口コミ
旅行

2006年06月30日

『エジプトがすきだから。』 ムラマツ エリコ 、なかがわ みどり

エジプトってステキ… さん
あらすじ
ずるい、せこい、信じられない。暑い、だるい、眠い、気が抜けない。つかれること、くやしいこと100倍。おもしろいこと、びっくりすること100倍。日本に帰ると、ぜんぶ笑っちゃうことになるのはなんで?エジプトにハマり、このコーフンを本にしようと100日間の旅を100日以上かかって詰め込んだ、見ているだけでお腹いっぱいになるエジプト体験。トイレ事情、ホテル事情、ナンパ事情、食事情…。
おすすめのポイント
単なる旅行記ではなく、筆者の爆笑体験が事細かに記されていて、エジプトやエジプト人に対するイメージがころっと変った。抱腹絶倒で一気に読み進み、読み終える頃には妙に親近感を覚えるようになった…。エジプトに旅行へ行きたいと思っている人にはどの旅行記よりもまず最初に読んでもらいたいと思う一冊。
エジプトがすきだから。
k.m.p.
角川書店 (2003/12)

2006年06月28日

『ショージ君の旅行鞄』 東海林 さだお

プクプク さん
あらすじ
海外から国内までの食文化がメインに書かれています。
おすすめのポイント
旅で出会う食を体験をまじえながら、面白く書いているところに魅力を感じます。笑いながら読めますよ。
ショージ君の旅行鞄―東海林さだお自選
東海林 さだお
文藝春秋 (2005/02)

2006年06月27日

『深夜特急』 沢木 耕太郎

にいたろう さん
あらすじ
バックパッカーのバイブル。カジノで店員の癖に気づいて大儲けしたり、お茶文化が言葉の変化とともにヨーロッパまで続いていることに気づいてたり…アジアの現実が、そこに住む人の生活が垣間見られる本。
おすすめのポイント
短期間ではあるがバックパックの旅をしたことがあり、本に書かれた世界が自分の経験とだぶり、懐かしくなる。旅をしていると、だんだん人恋しくなる様子などが本当によく描かれている。内容も、旅をする距離も長いので読み応えがある。(今回、例にあげられていたので驚きました)
深夜特急〈1〉香港・マカオ
沢木 耕太郎
新潮社 (1994/03)

2006年06月23日

ブラジル ブラジリア

世界遺産アカデミー的オススメポイント
brasiliaR.jpg ブラジル ブラジリア

文化遺産/1987年登録 
ブラジル連邦共和国/ブラジリア連邦直轄区

 ブラジルの大都会といえば、大西洋に面した旧首都のリオ・デ・ジャネイロやサンパウロなどがあげられます。この大西洋に面した都市群と内陸の高原地帯には大きな所得格差があり、19世紀から格差解消と内陸への遷都が叫ばれてきました。 1956年、大統領に当選したジュゼリーノ・クビチェックはブラジル中部、平均標高1172mの土地に新しい首都を計画し、わずか41カ月でブラジリアを作り上げてしまったのです。一方で、莫大な建設費は1970〜80年代の経済不振と高インフレを引き起こし、ブラジリアそのものは整然とした都市になりましたが周辺の衛星都市が無秩序に急発展するという弊害をもたらしました。現在、ブラジリアと周辺都市の人口は200万人を超えています。

 新しく都市を計画するに際し、時のブラジル政府は国内外に呼びかけて集まった26の計画案のうち、都市計画はブラジル人のルシオ・コスタの設計を採用。大統領官邸や大聖堂などの建物はニューヨークの国連ビル設計者の1人、ブラジル人のオスカー・ニーマイヤーが担当することになったのです。

 ブラジリアは、十字型に交差した2つの巨大な軸をもつ大きな飛行機の形をしています。 胴体の部分は、東西方向に走る全長9.75kmのモニュメンタル大通り。中央に芝生がある片側6車線で、行政地区・産業地区・ホテル地区・テレビ・ラジオ局が通り沿いにあります。 翼の部分は、14.3kmのエイショ大通り、中央に6車線の高速道路、両側4車線が幹線道路で道沿いには7階建ての集合住宅がならんでいます。 機首にあたる部分は「三権広場」とよばれ、立法・司法・行政の中枢機関とともに、お椀を伏せたようなあるいはお椀をテーブルの上に置いたような上下両院の国会議事堂があり、さらには宙に浮いたように見える最高裁判所、宮殿のような大統領府が並んでいます。

 

 世界遺産登録に際しては、20世紀の計画都市の成功例として、登録基準の1と4すなわち「人類の創造的資質を示す傑作」「重要な様式の建築物、人類の歴史上、重要な発展段階を示す景観の見本」を満たしているとして文化遺産に登録されました。 

交通アクセス

ブラジリアへのアプローチ

成田からリオ・デ・ジャネイロ経由でブラジリア国際空港。市内への公共交通はバスで約30分。

世界遺産検定

2006年06月22日

ブラジル オーロ・プレトの歴史地区

世界遺産アカデミー的オススメポイント
auro1R.jpg ブラジル オーロ・プレトの歴史地区

文化遺産/1980年登録 
ブラジル連邦共和国/ミナス・ジェライス州

 1698年、ミナス・ジェライス州で金鉱が見つかりました。 1711年から築かれた町、オーロ・プレトはゴールドラッシュの中心地として急速に発展をとげていきます。この金山は世界最大で、18世紀には世界の金の60%とも85%ともいわれる大量の金を産出していました。

 当時は数十頭のロバの背に金を積み、曲がりくねったジャングルの難路をおよそ500km、途中の関所でポルトガル王室への税金として5分の1を取られ、港町バケチまで運ばれます。そして船にのせられ、金は世界へと拡がって行きました。 この道路は「カミーニョ・ド・オウロ(金の道)」といわれましたが、今は亜熱帯のジャングルの中です。この金山で最初に発見された金は、まわりに酸化鉄がついて黒く変色しており、この黒い金(オウロ・プレト)が町の名前となりました。当時の人口は10万だったといわれます。

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 19世紀に鉱脈が枯渇すると町も衰退しましたが、当時の美しい建造物は今も残っています。 ハッサ・セニョーラ・ド・ピラール聖堂は、18世紀ハンセン病とたたかいながら製作に当たったバロック彫刻家アレイジャディーニの手になるもので、400kmの金で装飾されています。坂が多い石畳の道と石積みの塀の町、石が多く使われたのは坑道を掘り進めるときの副産物だといわれ、10年程前には「金の道」の一部と見られる石畳の道がジャングルの中から発見されています。

交通アクセス

オーロ・プレトの歴史地区へのアプローチ

成田からリオ・デ・ジャネイロまで飛行機で約25時間。リオ・デ・ジャネイロからペロ・オリゾンテ市まで飛行機で約40分。そこから車で約1時間。

世界遺産検定

2006年06月21日

ブラジル 中央アマゾン保全地域群

世界遺産アカデミー的オススメポイント
amazonrivR.jpg ブラジル 中央アマゾン保全地域群

自然遺産/2000年登録  2003年範囲拡大 
ブラジル連邦共和国/アマゾナス州

 南米大陸の西岸に沿って南北およそ7000kmと世界で最長のアンデス山脈。氷河をいただくアンデス山脈を源流とするアマゾン河は全長6400kmで大西洋に流れ込みます(長さでは世界第二の大河)。流域はブラジル・ペルー・ボリビア・エクアドル・コロンビア・ベネズエラの6カ国にまたがり、流域の面積は日本の18倍にあたる650万平方kmにもなります。

 自然遺産に登録されたのは、ブラジル北西部のジャウー国立公園を含むアマゾン中央部の総面積6万平方kmという広大な地域です。アマゾン河は200以上の支流を持ち、これらの水量は世界の全河川流量の15〜20%を占めると推定されています。豊かな水は、世界屈指の熱帯雨林を育て、人間と地球の環境を守っているのです。

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 大西洋に注ぐアマゾン河の河口から上流へ1700kmさかのぼった所に人口110万あまりのマナウスという町があります。日本人移民も多く住んでいるのですが、アンデスに源を発した川が「アマゾン河」という名前になるのは、このマナウスの下流10kmほどからなのです。ここで2つの川が合流します。黒い水と呼ばれるジャウー川(ネグロ川)は水に浸かった木々の間を流れてくるので腐食した植物により強酸性、一方ソリモインス川は雪解け水と泥を含んだアルカリ性で魚も多く棲み、この2つの川の合流によってリオ・アマゾナス(アマゾン河)となるのです。12〜5月にかけてがこの地方の雨期で、丁度今頃から6月下旬にかけては水位が8〜10mと最高になり、低地帯は浸水して海のように見えます。 地域内にはバルゼアと呼ばれる浸水林や、無数の沼・湖がモザイク状に広がり、体長2mにもなる巨大な淡水魚アラパイマ(ピラルク)やデンキウナギ、アロワナ、ピラニアなど320種の魚類、ブラックカイマン(ワニの一種)など爬虫類が15種、哺乳類もアマゾンマナティやカワイルカなど120種の繁殖が確認されています。

交通アクセス

中央アマゾン保全地域群へのアプローチ

成田からサンパウロへ(ニューヨーク、ロサンゼルスを経由して)飛行機で約24〜25時間。サンパウロからマナウスまで空路約3時間半。マナウスから船でジャウー川(ネグロ川)をさかのぼるクルーズ・ツアーなどがある。

世界遺産検定

2006年06月19日

クロアチア プリトヴィッツェ湖群国立公園

世界遺産アカデミー的オススメポイント
plitviceR.jpg プリトヴィッツェ湖群国立公園

自然遺産/1979年登録  2000年範囲拡大
クロアチア共和国/オトチャツ県

 首都ザグレブの南120km、ボスニア国境に近いカペラ山系に青緑色に澄んだ16の湖があります。標高差があるため、水は高い湖から低いほうへ92もの滝となって流れくだり、珍しい景観を形成しています。これがプリトヴィッツェ湖群国立公園です。

 広大な森林の中をプリトヴィッツェ川が蛇行し、標高639mのプロシュチャン湖からコラナ川に流れ込む間に出来た湖群は一番低い湖で標高150m……つまり湖は階段状に連なっているのです。 この地域は石灰岩で出来ており、川の水は高濃度の炭酸カルシウムを含んでいます。これが鉄や珪素とともに沈殿して川をせきとめ湖ができたと言われています。湖の透明度は高く、水中の魚や倒木・岩や藻が手に取るように見えますし、全体の色調はエメラルド・グリーンながら湖によって微妙に色が違います。

 公園内は、エコロジーバスと電気モーターの遊覧船、あるいは沢山ある遊歩道を歩きながら景観を楽しむことになります。公園周辺にはヒグマやオオカミなどの希少動物をはじめ、126種の鳥類がブナやモミの森林に棲んでいます。

 この公園はクロアチア独立戦争の際に一時セルビアの管理下に置かれ、内戦の被害が大きかったために危機遺産に登録されましたが、1995年独立したクロアチアに戻され、地元民や関係者の努力で本来の美しさを取り戻し、危機遺産リストから除外されました。

交通アクセス

プリトヴィッツェ湖群国立公園へのアプローチ

クロアチアまでの直行便はありません。ヨーロッパへの周辺国まで飛行機で約10〜12時間前後、乗り継いで1〜3時間でクロアチアの首都ザグレブ空港。ザグレブからバスで約3時間。

世界遺産検定

2006年06月16日

クロアチア スプリトのディオクレティアヌスの宮殿

世界遺産アカデミー的オススメポイント
splitR.jpg スプリトのディオクレティアヌスの宮殿

文化遺産/1979年登録
クロアチア共和国/スプリト県

 ローマ皇帝ディオクレティアヌスは、生まれ故郷のダルマチア地方(ダルマシアン犬発祥の地)のサロナ近郊・スプリトに巨大な宮殿を築き、晩年をそこで過ごしました。 城壁が囲む東西150m・南北200mの宮殿が10年の歳月をかけて完成した305年、皇帝は退位し、この町に移り住んだのです。以後、数百年の間に初期の建築とは変わってきましたが、町は損傷を最小限に防ぎ、ビザンチン、ベネチア様式やハンガリー様式の建築を保ちつつ現在に至っています。しかし、ディオクレティアヌス帝の宮殿は、ローマ帝国崩壊後廃墟となりました。 この宮殿跡は現在埋め立てられていますが、宮殿の南側、アドリア海に面したところには、皇帝の居室や謁見室、自らをユピテル(ジュピター)の息子として建てたユピテル神殿、霊廟などがあったのです。

 現在、遺跡となっている宮殿の中心となっているのは、道路の交差部分から3段の階段を下りたところにある開放的なテラスです。エジプト産の花崗岩と大理石の16本の円柱は、西方のローマ建築にはあまり見られない大きなアーチを支え、この場所には紀元前15世紀にエジプトで作られたスフィンクスが置かれて、この市民の憩いの場を守っているように見えます。この16本の円柱のそばに7世紀ごろ人々が住み始め町の建設が始まったのです。ゴシック・ルネッサンス、そしてバロックといった様式の建造物が次々と建てられていきました。

 ディオクレティアヌス帝はキリスト教を迫害したことでも知られています。しかしキリスト教徒は勢力を維持しつづけ、皇帝の死後、皇帝の像を破壊し、霊廟を破壊して大聖堂を造りました。聖ドムニウス聖堂です。そして、ユピテル神殿は洗礼堂に変えられました。

 この町の歴史は、宗主国が次々と変わったバルカン地方の揺れ動く過去が投影されており、1992年のクロアチア共和国の成立まで、ユーゴスラビア分裂の内戦ではかりしれない被害を受けました。現在も内戦による破壊跡の修理が続けられています。
写真提供:クロアチア政府観光局

交通アクセス

スプリトのディオクレティアヌスの宮殿へのアプローチ

現在クロアチアまでの直行便はありません。ヨーロッパへの周辺国まで飛行機で約10〜12時間前後、乗り継いで1〜3時間でクロアチアの首都ザグレブ空港。
ザグレブ空港からスプリト空港まで約50分。空港から車で約30分。

世界遺産検定

2006年06月14日

クロアチア ドゥブロヴニクの旧市街

世界遺産アカデミー的オススメポイント
dubrovnikR.jpg クロアチア ドゥブロヴニクの旧市街

文化遺産/1979年登録、1994年範囲拡大
クロアチア共和国/ドゥブロヴニク県

 ドゥブロヴニクは「アドリア海東海岸や地中海で最も美しい海岸」と世界の探検家や船乗り、それにローマ教皇などが繰り返し述べている場所です。大昔のローマ人は、この海岸に移り住み、別荘を構え、宮殿を造り、町を作ってレジャーを楽しんだのだそうです。このドゥブロヴニクには8つの国立公園と5つの国定自然保護区があります。海岸部に連なる町々は、地中海建築の宝庫です。このような町を訪れると、まるで中世かルネッサンス時代に迷い込んだような気がします。ドゥブロヴニクもそんな町のひとつです。

 エメラルド・グリーンに輝くアドリア海からドゥブロヴニクを望むと、2000m級の山々がそびえ、切り立った崖が海岸線に迫っています。塔をもつ中世の城塞に囲まれ、赤い瓦屋根と白壁の家々が陽光にまぶしく輝いています。その美しさは「アドリア海の真珠」とたたえられています。

 ドゥブロヴニクの歴史は7世紀初頭に、スラブ人の襲撃を受けたローマ属領の都市の人々がアドリア海のこの地に逃げてきたときに始まります。ドゥブ(オーク)の森にちなんでドゥブロヴニクと呼ばれるようになりました。7世紀以降は、海上交通の重要拠点として発展し、外国船が多数出入りするところから、排水設備や薬局、検疫所などの公衆衛生施設が充実し、町並みの美しさだけではなく機能的な港湾施設としても有名でした。 城壁は8世紀ごろ建設が始まり、町が拡がるのにあわせて16世紀まで拡張が続けられました。この城壁に囲まれた地域が旧市街です。13世紀に共和制の自治都市になって以来、宗主国を何度も変えながらも自治を守ってきましたが、20世紀末のユーゴ内戦で2000発の砲弾や爆弾を浴び、町は大変なダメージを受けました。そして、内戦直後は危機遺産に登録されましたが、市民の手で中世の町並みは復元され、1998年危機遺産リストから除外されました。

 12世紀に建設された「クネズ宮殿」、ドゥブロヴニクの守護聖人ブラホに捧げられた14世紀ロマネスク様式とゴシック様式の「聖ブラホ聖堂(火災の後1715年バロック様式で再建)」、14〜15世紀の「フランシスコ会修道院」にはヨーロッパで3番目に古い「薬局(現在は薬博物館)」などを見ることが出来ます。

交通アクセス

ドゥブロヴニクの旧市街へのアプローチ

成田からの直行便はありません。ヨーロッパの各空港からドゥブロヴニク国際空港へ。 車で市街地まで約20分。

世界遺産検定

2006年06月12日

オーストラリア タスマニア原生地帯

世界遺産アカデミー的オススメポイント
tasmania1R.jpg オーストラリア タスマニア原生地帯

複合遺産/1982年登録 1989年範囲拡大
オーストラリア連邦/タスマニア州

 プレートテクトニクス理論の中に組み込まれている大陸移動説によると、超大陸パンゲアが南半球のゴンドワナ大陸と北半球のローラシア大陸に分離したのが1億8千万年前。そのあと、5千万年前にオーストラリア大陸がゴンドワナ大陸から分離しました。そして、2万1千年前にタスマニアがオーストラリア大陸から完全分離し、ほぼ現在と同じ地球の姿が形成されました。

 偏西風のもたらす多量の雨により、タスマニア島は、オーストラリアで一番の湿潤地域といわれます。タスマニア島には、かつてこの島がアフリカ大陸や南アメリカ大陸と陸続きだった事を占めす動植物が生息しています。 タスマニア原生地帯は、タスマニア島の南西部の5つの国立公園が連なる地域を示します。地形的には氷河地形で、平らな山頂を持つ山々、そして険しい斜面など氷河活動で生まれた形状が多いことが特徴といえます。そして、そこに太古から残る植物や、固有種を含む独特の生態系を持つ動物が生息しています。例えば、木生シダやオオタスマニアスギなどはゴンドワナ大陸時代から存在する古代の植物ですし、現存する世界最大の肉食有袋類、タスマニアデビルや、絶滅が危惧されているアカハラワカバインコなどは、タスマニア独自の珍種です。つまり、タスマニアがオーストラリア大陸から分離した2万1千年前、地球上にはまだ高等な哺乳類が存在していませんでした。その時期に孤立したため、他の大陸では絶滅した原始的な単孔類や有袋類が、淘汰されずに独自の進化を遂げた訳です。

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 また、タスマニアにはおよそ3万1千年前、まだ陸続きだったオーストラリアから移動した『タスマニア・アボリジニ』という先住民が生活していました。彼らは、19世紀までタスマニアで生活していましたが、19世紀初頭に入植してきたイギリス人によって迫害され、1876年には絶滅してしまいました。島内の洞窟からはカンガルーの骨から作られた多くの骨角器、鋸、ナイフ、矢じりなど、3万〜1万2千年前の道具が発見されていますし、ジャズ洞窟という洞窟には、ステンシルという技法で描かれた約1万年前の岩面画が残っています。この岩面画は地球最南端の岩面画だといわれており、文化遺産としての大きな価値を持っています。
 写真提供:タスマニア州政府観光局

交通アクセス

タスマニア原生地帯へのアプローチ

成田からメルボルンまで飛行機でおよそ10時間半。メルボルンからタスマニア州の州都・ホバートまで空路1時間半。ホバートからツアーを利用すると便利。

世界遺産検定

2006年06月09日

オーストラリア 王立展示館とカールトン庭園

世界遺産アカデミー的オススメポイント
royalexR.jpg オーストラリア 王立展示館とカールトン庭園

文化遺産/2004年登録
オーストラリア連邦/ヴィクトリア州

 オーストラリアの文化遺産としては、今まで、自然遺産との“複合遺産”という形で、アボリジニ関係のものだけだったのですが、このメルボルン『王立博覧会ビルとカールトン公園』で、西洋建築・景観設計として初めて単独の“文化遺産”に登録されました。1880年と1888年にメルボルンで開催された、万国博覧会のために造られた展示館と庭園です。

 当時メルボルンで活躍した建築家・ジョセフ・リード/Joseph Reedによる設計で、レンガ、木材、鋼鉄、粘板岩などの多彩な建材を使用しています。ビザンチン、ロマネスク、ルネッサンスの建築様式をうまく取り入れ、融合させていることが大きな特徴です。19世紀から20世紀初頭にかけては、世界各地で様々な国際博覧会が開催されており、それは、知識や技術の交換の場であり、産業や貿易の振興にも大いに貢献しました。

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 国際万博が盛んであった当時(19世紀後半から20世紀初頭)の万博関連建築物としては、最も古いもののひとつで、当時の国際博覧会の模様を象徴する建築として、その価値が認められました。 また、周囲のカールトン庭園と建物が見事にマッチした景観も大きな特徴です。春から夏にかけては、青々とした美しい木々と季節の花々をみることができ、秋には色づいた木々と落ち葉の風景を楽しむことができます。自然と建築物の美しいコントランストは見事です。
 写真提供:ビクトリア州政府観光局

交通アクセス

王立展示館とカールトン庭園へのアプローチ

成田からメルボルンまで飛行機でおよそ10時間半。メルボルン市内中心部から徒歩10分程度。トラム86、96、または無料トラムシティ・サークルで行くこともできる。(スプリング・ストリート停留所下車、すぐ)。

世界遺産検定

2006年06月08日

オーストラリア ウルル、カタ・ジュタ国立公園(エアーズロック)

世界遺産アカデミー的オススメポイント
ururuR.jpg オーストラリア ウルル、カタ・ジュタ国立公園(エアーズロック)

複合遺産/1987年登録
オーストラリア連邦/ノーザン・テリトリー(北部特別地域)

 オーストラリア大陸の中央部にあるこの国立公園は、周囲10km高さ348mメートルのウルル山と、36の巨石が連なるカタ・ジュタ岩群からなっています。

 ウルル山は、1873年当時の南オーストラリア州首相のへンリー・エアーズが白人としては初めて登頂 したことから「エアーズ・ロック」と名づけられ、この呼び方のほうが有名になりました。 カタ・ジュタは19世紀のロシア皇帝ニコライ1世の娘の名をとって「オルガ山」とも呼ばれています。 太古の地殻変動とその後の侵食・風化作用によって現在の景観が生まれた2つの山ですが、『たくさんの頭』の意味を持つ「カタ・ジュタ」は地層の捩れがなく、地質がウルル山より柔らかかったため36の巨石群になったわけです。最も高い山は高さ546mでウルル山の高さを越えます。

 この2つの山は半砂漠地帯にありますが、ここは現代に生きる石器時代人ともいわれる先住民アボリジニー(紫黒色の膚をもつ)の聖地でした。彼らの神話によると「夢の時代」(ドリーム・タイム)に偉大な 祖先が陸地を歩きまわって世界が創造され、仕事を終えた祖先の魂はウルルやカタ・ジュタに眠っている と言い伝えられています。 文字を持たないアボリジニーは、口承や岩壁に絵を描くことで信仰心や生活の知恵を残してきました。 最古の壁画は1万年前のもので、彼らの文化が貴重であるとして、文化遺産にも登録されたわけです。 1日に4回も色を変えるといわれるウルル山(エアーズ・ロック)、夕日を受ければ燃えるように赤く 染まるところから「オーストラリアの赤い心臓」とも呼ばれます。しかし、18世紀から入植を始めた 白人にこの山も奪われ、世界的な観光地にはなったもののアボリジニーにはつらい日々が続きました。 1976年、先住民たちは土地の返還を求め、オーストラリア政府は2084年まで土地を借り受けるという 契約を結んで決着しました。今は政府と先住民が共同で土地の管理に当たっています。

 近年はオーストラリア大陸縦断鉄道も出来て便利になりました。半砂漠地帯ではありますが、この付近には有袋類のアカカンガルーやフクロモグラを含む40種の哺乳類、70種の爬虫類、480種を超える植物の生息が確認されています。

交通アクセス

ウルル、カタ・ジュタ国立公園(エアーズロック)へのアプローチ

成田空港からケアンズまで約8時間、又はアリス・スプリングスあるいはパースからエアーズ・ロック付近の空港へ。あとはツアーを利用するのがよい。大陸縦断鉄道も時間はかかるが利用できる。(予約制)

世界遺産検定

2006年06月06日

ブラジル・アルゼンチン イグアス国立公園

世界遺産アカデミー的オススメポイント
iguasR.jpg ブラジル・アルゼンチン イグアス国立公園

自然遺産/1984年アルゼンチン共和国登録・1986年ブラジル連邦共和国登録 
アルゼンチン共和国/ミシオネス州  ブラジル連邦共和国/パラナ州

 「イグアスの滝」は、北米の「ナイアガラの滝」、アフリカの「ヴィクトリア滝」と並んで世界三大瀑布の1つです。といっても、イグアスの滝は1つの滝ではなくイグアス川にある沢山の滝の総称なのです。大小275の滝、滝全体の幅は2700メートルで落差は最大80メートル(日光の華厳の滝は97m)、雨季には流れ落ちる水の量が毎秒6万5000トンに達し、これはヴィクトリア滝のおよそ8倍です。

 このあたりは、イグアス川がブラジルとアルゼンチンの国境になっています。世界遺産に登録された総面積2256平方キロメートルの3分の2はブラジル、残りはアルゼンチンで、敷地面積ではブラジルの方が広いのですが、滝の8割はアルゼンチン側にあります。 全長1199kmのイグアス川の大屈曲部にある滝は、パラグアイの国境にも近く、特に先住民グアラニーが「悪魔ののど笛」と呼んだ最も迫力のある滝は地響きのような轟音がとどろきます。イグアスというのは先住民グアラニー族の言葉で「巨大な川」を意味します。 昔々、この地域にはヘビの神ムボリが崇められていました。この神は生贄を求め、村一番の美少女ナイビが捧げられますが、寸前に村の青年タロバが彼女を救い出しイグアス川をカヌーで逃げます。ムポリは大変怒って地中で体をくねらせ、巨大な滝を造ってカヌーを飲み込んでしまいます。タロバは高い岩場でヤシの木になった……先住民に伝わるお話です。

 滝つぼから昇る水蒸気で付近一帯は熱帯雨林となり、2000種の植物が繁茂しているほか、動物ではピューマやジャガーといった猫類を含む哺乳類、ワニなどの爬虫類、鳥400種、500種の蝶が棲息しています。しかし、材木は乱伐され、動物は毛皮などを目当ての密猟者によって減少してきました。 さらに人間が造った不法な道路や、ヘリコプターによる遊覧飛行、ダム建設などによって1999年には危機遺産のリストに入ってしまいますが、2001年に環境が改善されたとしてリストから除外されました。しかし現在でもマーゲイ、オセロット、ピューマ、ジャガーといった4種類のネコ科の動物が個体数を減らし、約2000種生育する植物の中ではアサイヤシなどは数を減らしています。

交通アクセス

イグアス国立公園へのアプローチ

●ブラジルのガレオン国際空港からフォト・ド・イグアスまで1時間半。そこからバスで40分。
●アルゼンチンのブエノスアイレスからプエルト・イグアス空港まで1時間45分。そこからバスで30分。

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