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イノベイター(変革者)たちの横顔
会社にイノベイションを起こせ!  あなたもイノベイターになれる!
企画・取材・構成担当
嶋田淑之からのメッセージ
嶋田淑之写真
 

 企業経営をめぐる環境変化が今ほど速く、かつ巨大な時代はありません。どんな企業も絶えざる「自社革新」(=イノベイション)を通じて自社のサバイバルを図らざるを得ないのが現実です。そして、それをリードするのが、社内の一握りの「イノベイター」(=変革者)たちです。

 彼ら「イノベイター」は、先鋭なビジネスセンスと高いビジネス・スキルを背景に、社内上層部を動かし、社内外の関係者を巻き込みながら、「自社革新」を推進しています。

 一見華やかに見える彼ら。しかし、それは彼ら自身の絶えざる「自己革新」の賜物です。

 彼らが、どうやって「イノベイター」としての立場を確立したのか、どういう資質を持ち、どういう努力をしているのか、各業界の「若きイノベイター」たちへの取材を通じて明らかにしてゆきたいと思います。

 本連載を読むあなた自身が「イノベイター」になること、それこそが、あなた自身のビジネス界でのサバイバルを約束する最大のファクターになります。そして、あなたにはそれが可能なのです!

プロフィール
嶋田淑之
1956年生まれ。東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在、産業能率短期大学・講師。戦略経営協会・理事/事務局長。主要著書として、「ヤマハ発動機の経営革新」(共著、ダイヤモンド社、05年)、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか?」(共著、毎日コミュニケーションズ、04年)など7冊がある。
第23回 テレビ朝日・看板アナ、転じて「コンサート・ソムリエ」:(株)オフィス・トゥー・ワン 朝岡 聡さん
INDEX
(1) 南イタリアの太陽のような輝き、存在感 朝岡 聡さん
(2) 「人見知り」だったが、「放送」に目覚めた子ども時代
(3) クラシック音楽、生徒会、放送部活動
(4) 慶応大学入学、そしてテレビ朝日にアナウンサーとして入社
(5) 最も苦手なスポーツ担当となる〜古館伊知郎氏を師と仰ぎ
(6) 輝かしい日々〜『ニュースステーション』のスポーツ担当キャスター
(7) みのもんた、久米宏両氏と同じ35歳で独立
(8) 大好きなクラシック音楽界への危機感〜「ミッション」の自覚
(9) 「ミッション」実現に向けて〜「自己革新」の日々
(10) 「コンサート・ソムリエ」〜クラシック音楽の「変革者」としての活動
(11) 今後に向けての「戦略課題」
(12) 朝岡さんに見るイノベイターとしての資質、ならびに成功要因は何か?
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南イタリアの太陽のような輝き、存在感

 初対面であって、しかし初対面ではない……。そんな不思議な出会い。長年、テレビ朝日「ニュースステーション」を初めとする番組で、人気アナウンサーとして活躍する姿にすっかり馴染んできたので、そう感じるのは当然なのかもしれない。

 明るくハイテンションでありながら、他人の話にはじっと聞き入る誠実で印象的な姿など、まさにテレビで見る通りだ。

 しかし、それだけではない、初対面であることを相手に忘れさせるだけの自然で大らかな呼吸感が、この人にはある。

 ところが、ご本人に言わせれば、もともと大変な人見知りだと言うではないか…!

 本連載の第4回にご登場くださった新日鐵・浅井信司さんの中学・高校時代の同窓という彼こそ、今回の主役・朝岡聡さん、47歳だ。

 今は、アナウンサー業務と並んで、「コンサート・ソムリエ」として、クラシック音楽の普及・啓蒙のために世界狭しと、まさに東奔西走の日々を送っているという。

 相次ぐヨーロッパ出張の合間を縫って実現したこのインタビュー。さて、朝岡さんとは、一体、どんな人物なのだろうか?

「人見知り」だったが、「放送」に目覚めた子供時代

 朝岡聡さんは、1959年、横浜市で生まれた。蠍座のA型。父親は大手電機メーカーのエンジニアで、母親は専業主婦。妹がひとり。

 「小学校の頃から人見知りが激しかったんですよ!」と笑う。草花、電車、「古い物」をこよなく愛する子どもだったという。

 そんな、どちらかと言うと孤独を愛する朝岡少年だったが、放送部の活動で、校内放送をすると、周りに友人・知人が集まってきてくれて、それが嬉しかったという。

 人間には 「人生脚本」があり、それは12歳までに固まると言われるが、朝岡さんの将来の方向性も、この頃、雛形ができつつあったのかもしれない。

 中学受験には失敗したものの、まったく意に介さず地元(東京都大田区)の公立中学に入ると、彼はクラシック音楽に打ち込む。

クラシック音楽、生徒会、放送部活動

「現代楽器による演奏もさることながら、古楽器演奏に触れて、非常に感動しましてね。とりわけ、バロック音楽におけるリコーダーの魅力に強く惹かれたんですよ!」

 朝岡さんは、ブラスバンド部の1年後輩で、のちに「レベッカ」のキーボードとして活躍する土橋安騎男氏らと共に、リコーダーのアンサンブルを結成しライブ活動を開始する。

 「体育」以外の科目はとても良くできた朝岡さん。慶応義塾高校など私立受験には失敗したものの、1975年、都立の名門・小山台高校に進学する。

 高校では、リコーダー演奏をより本格化させるとともに、中学時代以来力を入れてきた生徒会と放送部の活動に、より注力したという。「生徒会では生徒会長をやらせていただきました。放送部では、番組作り、イベントの司会などを担当し、部長も務めましたね」。

 さぞやカリスマ性に溢れた高校生だったのでは……と思ったが、朝岡さんは、それをきっぱりと否定する。「個性とかカリスマ性とかはないです。むしろ、柔軟性とかバランス感覚で全体を調整してゆくタイプでしたよ」と笑う。

「進路の目標ですかぁ? その頃は、いい大学→いい会社というコースを歩めればいいなあ……と漠然と思ってただけですね。ただ、ちょうどそのころ、テレビの世界では、フリーになるアナウンサーが出始めていて、アナウンサーって仕事も面白いなあとは感じていました」

慶応大学入学、そしてテレビ朝日にアナウンサーとして入社

 迎えた大学受験。数学が苦手になっていた朝岡さんは、一橋大学など国立大学受験には失敗したものの、慶応大学、立教大学、成蹊大学には合格。

「バロック・アンサンブルのある大学に入ろうと決めていたので、迷わず慶応に決めましたよ」。南イタリアの太陽のような笑顔がパッと輝く!

 1978年、慶応大学法学部法律学科に入学。「古い物」好きの朝岡さん、ゼミでは、西洋法制史を専攻し、国立国会図書館でマイクロ・フィルム化された原資料に当たるなど大学院生も顔負けの本格的研究を行ったという。何事にも「誠実」かつ「真剣」に打ち込む彼らしいエピソードだ。

 そして訪れた就職活動シーズン。「よく、朝岡君の声っていいね……と言われていたんですよ」と照れ臭そうに笑いながらも、こう続ける。「人見知りなので、1対1で話すのは得意ではなかったんですが、不特定多数の前で話すのは大好きでしたし、正直、得意でした。そういうこともあって。自分の言葉で伝えるという仕事に魅力を感じていたんですよ」。

 約1年前から東京アナウンスアカデミーに通って、アナウンサー試験を目指していたという朝岡さんだが、果たして、その戦績は?

 「NHKは地方勤務が多いので避けました。最初に受けた日本テレビでは、いきなり1次面接で落ちて、流石にショックでしたね。でも、その後に受けたテレビ朝日が早目に内定したので、テレビ東京やフジテレビジョンは、途中で辞めました」という。

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